メラネシア ひと時の休息に「エッセイ」をご用意致しました。


黒い肌の種族
メラネシア(Melanesia)も、オセアニアの海洋部の分類の一つです。
メラネシアという用語は1832年、フランスの海軍提督ジュール・デュモン・デュルヴィルが、ポリネシアやミクロネシアとは違うこの地域の民族的・地理的分類のために始めて使いました。
今日では文化的・言語的・遺伝的多様性を正しく反映していないことからデュルヴィルの民族区分は不正確とされています。しかし、パプアニューギニア、フィジー、ソロモン諸島、バヌアツ、フランス領ニューカレドニアなどの国民は「メラネシア」という言葉を、植民地の歴史を共有し、共通した地域問題を抱える彼ら自身を表現するものとして使っています。

メラネシアはギリシャ語で メラス「黒い」+ ネソス「島」から「黒い島々」の意味ですが、島が本当に黒いわけではなく、肌の黒い人達がこの島々に住んでいたので名づけられたのでしょう。
メラネシアの範囲は、赤道以南、東経180度以西にある島々が該当します。オーストラリア大陸は含まれません。
ニューギニア島、ビスマルク諸島、ソロモン諸島、フィジー諸島、サンタクルーズ諸島、ロワイヨテ諸島、チェスターフィールド諸島などが該当する島々です。

この地域は根菜農耕が中心でヤム芋やタロイモなどの芋類を栽培し、主食としています。
メラネシアの民族集団はオーストロネシア語族とパプア諸語族の二つに大きく分かれています。メラネシアの先住民はおそらく今日のパプア系の祖先に当たる人たちであったと考えられています。彼らは数万年前にニューギニア島に達し、放射性炭素年代測定によれば少なくとも3万5千年前にはメラネシアの島々、おそらく一番東はソロモン諸島やその東の小さな島々にまで到達したと考えられます。

4000年前には、ニューギニア北部やニューギニア東方の島々において、オーストロネシア語族の人々が先住のパプア系の人々と接触したと考えられます。こうした交流(接触)は長期間に渡り行われたようで、言語や文化、遺伝形質などが複雑に交じり合うようになりました。また、メラネシアで生じたこれらの混血の集団の中から、少人数の集団がさらに東に海を渡り、ポリネシアを形成したと考えられています。
メラネシアの中には、ポリネシア文化を保持する地域が飛び地のように点々としており、域外ポリネシア(Polynesian Outlier)と呼ばれています。

参考資料:ネシア分類地図

Copyright(c) 2010 BBC corporation All Rights Reserved