花火 ひと時の休息に「エッセイ」をご用意致しました。


花火大会の打ち上げ花火
 夏の風物詩としておなじみの花火ですが、線香花火や電気花火は玩具屋などで売られており、簡単に手に入るので夕涼みがてらに、遊んだ方も多いことでしょう。
また、打ち上げ花火は豪快で華麗な大輪が開くので、日本人には昔から愛さてれいます。
近年、各地で行われる花火大会は、打ち上げ花火を短時間で多数打ち上げる(スターマイン)が中心で、見る人に至福のひと時を与えていますね。
今年も、各地で行われる花火大会が楽しみですね。

ところで、日本の花火の歴史は、 室町時代に「唐人」が花火と考えられる「風流事」を行ったという記録が残っております。これが花火の始まりのようです(今のところは・・)
 江戸時代になると、花火を専門に扱う火薬屋が登場し、各地で花火が行われていました。1648年(慶安元年)になると幕府が隅田川以外での花火の禁止の触れを出し、このため隅田川の花火は江戸市民の娯楽として、人気が高かったようです。
(ちなみに、当時の花火は、おもちゃ花火が中心だったようです。)

その後、鍵屋、玉屋の二大花火師の時代を迎えるようになると、両国の川開きには、両国橋を挟んで上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持ち打ち上げ花火を競ったようです。
当時は、鍵屋のような花火専門業者の花火は町人花火と呼ばれていました。それ以外にも、大名らが配下の火薬職人らに命じ、競って隅田川で花火を揚げたという記録も残っています。これらの花火は武家花火と呼ばれます。特に、火薬製造が規制されなかった尾張藩、紀州藩、水戸藩の3つの徳川御三家の花火は御三家花火と呼ばれ、江戸町人らの人気が高かったようです。

もっとも武家花火は、戦に用いる信号弾のようなものが進化したもので、狼煙花火と呼ばれました。一方、色や形を楽しむ仕掛け花火を中心としたものを、町人花火と呼んでいました。これらを共に取り入れたのが現代の日本の花火技術ですね。

ところで皆さんは、現存する日本で最も古い花火業者をご存知ですか。 答えは、東京の“宗家花火鍵屋”です。1659年(万治2年)に初代弥兵衛がおもちゃ花火を販売した記録が残されていますよ。

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